中村功さん(まる功うなぎ株式会社 代表取締役社長)

——兄の哲郎さんとともに家業を継がれましたが、昔から養鰻の道へ進もうと?

いいえ、まったく考えていませんでした(笑)。家業を手伝った記憶はほとんどないですね。

熊本の大学を卒業後、愛媛県でテレビカメラマンをやっていたんですよ。番組制作の下請け会社に就職して、ネタを集めたり、原稿を書いたり、カメラを回したり…。報道やスポーツ、ローカル情報など、ときには自分が顔出し(出演)することもありました。大変だったけど、今思えば楽しかったな。

ところが2000年代に入り、地上デジタル放送(地デジ)への移行がはじまると、テレビ制作を取り巻く環境が一変。以前とは比べものにならないほど忙しくて…。当時32歳だった自分は転職するなら今かなって。

——それで地元に戻ることにしたんですね。親御さんやお兄さんの反応は?

オヤジは「勝手に仕事を辞めるなんて」と怒りつつも、自分が戻る環境を整えてくれましたね。兄貴には「戻ってくるなら覚悟してやれよ」って喝を入れられました。

もしも2人に尻込みして地元に戻っていなかったら、海が好きな自分なんで水中カメラマンになっていたかもしれない(笑)。帰郷と同時に撮影はスパッと辞めました。

——家族と一緒に働き始めて、新しい発見はありましたか。

なぜ親は、正月も俺の誕生日も放って、うなぎの水槽にずーっと張り付いていたのか? という疑問が解けたことですかね。ばあちゃんっ子だった自分は親を反面教師にするつもりでした。うなぎにかまけて、家庭を顧みないことはしないぞ、と。

案の定ですけど、いざ自分が養鰻を始めたら、うなぎの魅力に“ひっぱられちゃう”。世話が必要な生き物だから、ではなく、より高みを目指そうと没頭し始めたら楽しくてキリがないから。

兄貴は特にその傾向が顕著ですよね。うなぎにベッタリ。そんな兄貴を支えられるのは俺くらいでしょう。

また、今の自分があるのも家族や協力してくれる従業員・仲間の支えのおかげです。感謝しています。

——最近チャレンジしたこと、成果がでてきたことはありますか。

ここ数年、従業員にも判断をしてもらい、現場を少しずづ回せるようになってきたことです。

これまでは、野球に例えるなら自分という「監督」ありきだったんですよ。監督が現場に出て全体を把握・管理し、指示を出す。「選手」である従業員がそれに従って、作業をする。

じゃあ監督の不在時はどうするか、という問題が出てきます。自分が管理している養殖池は、土用シーズン以外の出荷にも年中対応している水槽なんです。万が一があっても対応できるよう、従業員を育てきりたかった。その成果が、ここ2〜3年で徐々に現れてきました。まだ課題は山積みですが…(笑)

——今後の目標はありますか?

『味鰻』(あじまん)を広め、知ってもらい、ファンを増やすことです。

従業員のみんなには、生き物を育てるのは難しいといって怯むことなく、失敗を恐れずにチャレンジして『味鰻』を育て上げたという自信を持ってほしい。そういうチャレンジする人のことは、応援していきたいですね。

あと、従業員の幸せ・満足度を高める事。「この会社で働いてよかった」と思ってもらえる環境を整え、次の時代を担う若者の柔軟な考え、パワーを生かし、中村養鰻場『味鰻』が50年、いや100年と進化し、続いていくことです。

            「人生楽しく、悔いなく、全力で!」